名古屋地方裁判所 昭和56年(ワ)2731号 判決 1985年7月12日
原告 イー・アール・スクイブ・アンド・サンズ・インコーポレーテッド
右代表者 ジョージ・ジェー・コーザー
右訴訟代理人弁護士 品川澄雄
同 吉利紗知子
右輔佐人弁理士 青山葆
同 樫出庄治
被告 大洋薬品工業株式会社
右代表者代表取締役 浦嶋秀夫
右訴訟代理人弁護士 荒井良一
同 涌井庄太郎
主文
一 被告は別紙目録一に記載の方法により製造した同目録一記載の物件を輸入し、これを製剤し、その製剤品を販売してはならない。
二 被告はその所有に係る前項の物件及び製剤品を廃棄せよ。
三 訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一当事者の求める裁判
一 原告
主文同旨の判決並びに仮執行宣言。
二 被告
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二当事者の主張
一 原告の請求原因
1 原告はアメリカ合衆国デラウェア州の州法に従って設立された法人であって、医薬品等の製造販売を業としている。
被告は医薬品等の製造販売を業とする株式会社であって、名古屋市内に営業本部を置いている。
2 原告は左記特許権を有している。(以下「本件特許権」といい、その発明を「本件特許発明」という。)
(一) 特許番号 登録第六六八五九三号
(二) 発明の名称 α―アミノ―シクロヘキサジエニルアルキレン―ペニシリン類およびセファロスポリン類の製法
(三) 特許出願日 昭和四四年七月二日(一九六八年七月二日のアメリカ合衆国特許出願に基く優先権主張)
(四) 出願番号 昭和四四年特許出願第五二四一五号
(五) 特許出願公告日 昭和四七年六月六日
(六) 公告番号 昭和四七年特許出願公告第一九七九七号
(七) 登録日 昭和四七年一二月八日
(八) 特許請求の範囲
「式AHで表わされる化合物またはその反応性誘導体と式
で表わされる化合物またはその反応性誘導体(ただし反応に関与しない基は保護されていてもよい。)を反応させ、要すれば反応成績体に存在する保護基を離脱せしめて、式
で表わされる化合物を得ることを特徴とするα―アミノ―シクロヘキサジエニルアルキレン―ペニシリン類およびセファロスポリン類の製法。
〔ただし、上記式中、Aは式
または式
(Rは、水素、低級アルキルまたは塩形成イオンを示す。Xは水素、低級アルカノイルオキシまたは窒素塩基の残基または根を示す。なお、XおよびRの両者はラクトン環における炭素と酸素の結合手を示す場合もある。)
を表わし、nは0~4の整数を表わす。〕」(別添特許公報―以下「本件公報」という。―参照)
3 被告は、別紙目録一に記載されている方法(以下、「被告方法」という。)によって製造された、該方法の目的物質たるセフラジン(別紙目録二記載の化合物)の原末を、イタリー国ミラノ市所在の訴外ドブファー・エス・ビー・エーから、訴外サカイ薬品株式会社を介して輸入し、これを製剤の上、該製剤品を「タイセフラン」なる商品名で販売している。
4 被告方法は、以下に述べるとおり本件特許発明の技術的範囲に属する方法である。すなわち、
(一) 本件特許の右特許請求の範囲記載の方法の目的物を示す一般式においてAとして
を選び、右A中のR及びXに共に水素(H)を選び更にnを0(零)とし中からを選んだ左記化学構造式、
で示され、かつ、右式中※印で示した炭素原子(不斉炭素原子)に基づく立体配置がD系列に属するものは、7―〔D―2―アミノ―2―(1・4―シクロヘキサジエニル)アセトアミド〕―3―デアセトキシセファロスポラン酸なる化学名で示される化合物であって、一般名をセフラジン(Cefr-adine)と言い、本件特許の特許請求の範囲の記載をセフラジンを製造する場合について言えば、
「式AHで表わされる化合物またはその反応性誘導体と式
で表わされる化合物またはその反応性誘導体(ただし反応に関与しない基は保護されていてもよい。)を反応させ、要すれば反応成績体に存在する保護基を離脱せしめて、式
で表わされるセフラジンを得る方法。ただし、上記式中、Aは式
となり、これを構成要件に分説すれば、
A、(1)、式
で示される化合物(すなわち、3―デアセトキシ―7―アミノ―セファロスポラン酸、以下「7―ADCA」ともいう。)、
またはその反応性誘導体と
(2)、式
で表わされる化合物〔すなわちD―2―アミノ―2―(1・4―シクロヘキサジエニル)酢酸〕、またはその反応性誘導体(ただし、反応に関与しない基は保護されていてもよい。)
との二種の化合物を原料化合物として用い、
B、両者を反応させ、要すれば反応成績体に存在する保護基を離脱せしめて、
C、式
で表わされるセフラジンを得る方法。」
と言うことができる。右A、B、Cが本件特許の特許請求の範囲に記載されている技術的事項(原料、手段、目的物質)のすべてであり、これが発明の要旨である。
(二) 右本件特許発明の構成要件(A、原料、B、手段、C、目的物質)と被告方法を対比すると、
(1) 被告方法は、出発物質として、左記化学構造式をもって示される化合物を用いている。
この化合物は3―デアセトキシ―7―アミノ―セファロスポラン酸(7―ADCA)であり、右化合物は前記構成要件Aの化合物と同一である。
(2) 次に、被告方法は、7―ADCAと「N、N'―ビストリメチルシリルウレア(BSU)」とをメチレンクロライド中で反応させるが、N、N"―ビストリメチルシリルウレア(BSU)は、左記化学構造式
をもって示される化合物であって、右反応によって左記化学構造式をもって示される
及び
なる二つの化合物を生じる。
前者を3―デアセトキシ―7―トリメチルシリル―アミノ―セファロスポラン酸トリメチルシリルエステルと言い(別紙目録一の化合物〔Ⅰ〕)、後者を、3―デアセトキシ―7―アミノセファロスポラン酸トリメチルシリルエステルと言う(同目録の化合物〔Ⅱ〕)。
(なお、メチレンクロライドは単なる溶剤((溶媒))であって、自らは反応に関与しない。)
したがって、右両化合物は共に、7―ADCAから、誘導された誘導体であるということができ、かつ、被告方法における所望の反応を生起し得る能力、すなわち、「反応性」を有しているから、7―ADCAの反応性誘導体である。
(3) 次に、被告方法は、右両化合物を反応生成物とする「反応混合物」に、「D―2―アミノ―2―(1・4―シクロヘキサジエニル)酢酸クロライド・塩酸塩」を加えて反応させる。D―2―アミノ―2―(1・4―シクロヘキサジエニル)酢酸クロライド・塩酸塩は、左記化学構造式
をもって示される化合物であって、前記の
なる化学構造式で示されるD―2―アミノ―2―(1・4―シクロヘキサジエニル)酢酸から誘導される誘導体であり、そのアミノ基(―NH2)は反応には関与せず、反応を妨げないように塩酸(HCl)で保護されている。
右D―2―アミノ―2―(1・4―シクロヘキサジエニル)酢酸クロライド・塩酸塩は、被告方法における所望の反応を生起し得る能力、すなわち、「反応性」を有しているから、右D―2―アミノ―2―(1・4―シクロヘキサジエニル)酢酸の反応性誘導体である。
そして、前記両化合物が、右のD―2―アミノ―2―(1・4―シクロヘキサジエニル)酢酸クロライド・塩酸塩と反応すると、左記化学構造式
で示す化合物が生じる。この化合物は、7―〔D―2―アミノ―2―(1・4―シクロヘキサジエニル)アセトアミド〕―3―デアセトキシセファロスポラン酸トリメチルシリルエステル・塩酸塩と言い、本件特許の特許請求の範囲における「反応成績体」に属する。
なお、本件特許の特許請求の範囲には、「反応成績体」を特に式をもって示していない。しかし、その反応成績体が、「式AHで表わされる化合物またはその反応性誘導体」と「式
で表わされる化合物またはその反応性誘導体(ただし反応に関与しない基は保護されていてもよい)」とを反応させた結果得られる化合物(反応生成物)を意味することは文理上明らかである。
そして、前記の両化合物は「式AHで表わされる化合物の反応性誘導体」であり、また、前記のD―2―アミノ―2―(1・4―シクロヘキサジエニル)酢酸クロライド・塩酸塩は、前記「式
で表わされる化合物の反応性誘導体(ただし反応に関与しない基は保護されている)」に該当するから、この両者の反応によって得られた前記化合物が、特許請求の範囲における「反応成績体」に該当することは当然である。
(4) 更に、被告方法は、右「反応成績体」に該当する化合物から「トリメチルシリル基」及び「付加塩酸」を除去して、最終目的物たるセフラジンを生成せしめる。
右により生成されたセフラジンは、本件特許の特許請求の範囲に記載の方法の目的物質に該当するから、右「反応成績体」に該当する化合物から「トリメチルシリル基」及び「付加塩酸」を除去して、最終目的物たるセフラジンを生成せしめる工程は、本件特許の特許請求の範囲における「反応成績体」から「目的物質」を得るという要件に該当する。そして、右の工程で「離脱」せしめられるトリメチルシリル基及び付加塩酸は共に、保護基であり、右の工程は、本件特許の特許請求の範囲における「要すれば反応成績体に存在する保護基を離脱せしめ」なる要件に該当する操作に他ならない。
以上のとおり、被告方法はA、本件特許請求の範囲における「式AHで表わされる化合物」である7―ADCAの反応性誘導体である3―デアセトキシ―7―トリメチルシリル―アミノ―セファロスポラン酸トリメチルシリスエステル及び3―デアセトキシ―7―アミノ―セファロスポラン酸トリメチルシリスエステル並びに本件特許請求の範囲における「式
で表わされる化合物であるD―2―アミノ―2―(1・4―シクロヘキサジエニル)酢酸から誘導される反応性誘導体を原料物質とし、B、両者を反応させ、要すれば反応成績体に存在する保護基を離脱せしめて、C、本件特許の特許請求の範囲に記載の方法の目的物質たるセフラジンを生成せしめるものであるから、本件特許の構成要件A、B、Cをいずれも充足するものである。
従って、被告方法は本件特許発明の技術的範囲に属する方法である。
5 よって、原告は被告に対し、特許法一〇〇条一、二項に基づき、被告方法を用いて製造された別紙目録二記載の物件を輸入し、これを製剤し、その製剤品の販売の差止めと、その所有に係る右物件及び製剤品の廃棄を求める。
二 請求原因に対する被告の認否
1 請求原因1の事実は認める。
2 同2の事実は否認する。
本件特許は被告の主張1に記載のとおり存在しないものである。
3 同3の事実は認める。
4 同4柱書は争う。
仮に本件特許が存在するとしても被告主張2ないし5の理由により被告方法は本件特許の技術的範囲に属さない。
(一) 同4(一)は認める。
(二) 同4(二)について
(1) (1)は認める。
(2) (2)のうち、3―デアセトキシ―7―トリメチルシリル―アミノ―セファロスポラン酸トリメチルシリルエステル及び3―デアセトキシ―7―アミノセファロスポラン酸トリメチルシリルエステルが7―ADCAの誘導体であることは認めるが、本件特許にいう反応性誘導体であることは否認する。その余は認める。
(3) (3)のうち、D―2―アミノ―2―(1・4―シクロヘキサジエニル)酢酸クロライド・塩酸塩が2―アミノ―2―(1・4―シクロヘキサジエニル)酢酸の反応性誘導体であることは認めるが、7―〔D―2―アミノ―2―(1・4―シクロヘキサジエニル)アセトアミド―3―デアセトキシセファロスポラン酸トリメチルシリルエステル・塩酸塩が本件特許にいう反応成績体であることは否認する。
(4) (4)のうち、被告方法の最終目的物たるセフラジンが本件特許の特許請求の範囲に記載の方法の目的物質に該当することは認めるが、7―〔D―2―アミノ―2―(1・4シクロヘキサジエニル)アセトアミド〕―3―デアセトキシセファロスポラン酸トリメチルシリルエステル・塩酸塩から「トリメチルシリル基」及び「付加塩酸」を除去する工程が本件特許の特許請求の範囲における「要すれば反応成績体に存在する保護基を離脱せしめ」なる要件に該当することは否認する。
5 同5は争う。
三 被告の主張
1 本件特許の不存在
(一) 本件特許の登録までの経緯は、次のとおりである。
(1) 第一国出願 一九六八(昭和四三)年七月二日
(優先日) アメリカ国
(2) 特許出願 昭和四四(一九六九)年七月二日
(優先権主張) (特願昭四四―五二四一五号)
(3) 手続補正書 昭和四五年六月一八日
(第一補正書) (昭和四五年六月一九日到達)
(4) 拒絶理由通知 昭和四六年三月一六日発送
(5) 意見書 昭和四六年六月一六日
(6) 手続補正書 昭和四六年六月一六日
(第二補正書) (昭和四六年六月一七日到達)
(7) 手続補正書 昭和四六年八月一八日
(第三補正書) (昭和四六年八月一九日到達)
(8) 手続補正書 昭和四六年九月二九日
(第四補正書) (昭和四六年九月三〇日到達)
(9) 手続補正書 昭和四六年一二月一三日
(第五補正書) (昭和四六年一二月一四日到達)
(10) 手続補正書 昭和四六年一二月二八日
(第六補正書) (昭和四七年一月五日到達)
(11) 出願公告の決定 昭和四七年一月一二日
(12) 出願公告 昭和四七年六月六日(特公昭四七―一九七九七号)
(13) 特許査定 昭和四七年九月八日
(14) 登録 昭和四七年一二月八日
(二) 本件特許は右の経緯によって六回の手続補正を経て出願公告せられたものであるところ、本件特許の公告公報たる特公昭四七―一九七九七号公報には、第六補正書によってなされた補正事項が掲載されていない。
しかるところ、特許法五一条二、三項には、特許庁長官は願書に添付した明細書に記載した事項を特許公報に掲載して出願公告しなければならない旨規定しているから、本件特許はその出願手続において、適法な出願公告がなされていないものであり、自ずから以後の特許査定等の行政処分は違法なものであって、そもそも本件特許は存在しないものである。
2 昭和四六年六月一六日付手続補正による出願日の繰下がり
(一) 本件特許発明は、次のとおり、その出願時においては発明未完成のものであった。すなわち、
(1) 本件特許発明は新規化合物を製造する方法の発明であるところ、特許庁のプラクティスにおいては、新規化合物の合成に際しては、その物理的、化学的性質の開示がなされてはじめてその生成が一般に承認されるのが化学の技術分野の慣行であり、それを前提として特許の明細書においても物理的、化学的性質を記載することが必要とされている。
なぜならば、化学反応は自然法則によって進行するもので、被処理物質の構造のわずかな相違によっても大きく異なることもあり、これを人為的に変更できるものではないから、理論的に一定の反応を想定しても果してその通り反応が進行するかどうかは、実際に実験して確認してみなければわからないのであって、化学が実験の科学とされ、実験にもとづく具体的資料なしには化合物の合成は確認できないという特性は、化学物質の製法にかかる発明において、当該目的化合物が創製されたか否かを判断するに際して考慮すべき必須の要件であるからである。
ちなみに、特許庁編、産業別審査基準「有機化合物」、産〔3〕―4―24~25頁では、明細書の「発明の詳細な説明の記載」の項において、「新規な化合物については、原則として元素分析値、融点、沸点、屈折率、紫外または赤外スペクトル、粘度、核磁気共鳴値、結晶形あるいは色等の一つ以上の容易に同定し得る数値その他の事項が示されていなければならない。」とされ、同、産〔3〕―4―2~3頁の「発明(特許法第二九条第一項の発明)の成立性」の項においては、「新規化合物を目的化合物とする製法の発明において、その目的化合物の生成を確認できる資料が全く示されていない発明」は、「発明の目的、効果が達成されていない発明」として特許法上の発明の成立性を否定されているのである。
(2) そこで、これを本件特許発明の目的化合物たるセフラジンについてみると、本件特許出願の願書に最初に添付された明細書(以下「原明細書」という。)には、その例5に「356mg(1・66ミリモル)の3―デアセトキシ―7―アミノ―セファロスポラン酸をC部の6―ADAの代りに使用することによって、或はまた例1の方法に従って上述の化合物が得られた。」と記載されているのみで、その生成を確認できる資料が全く示されておらず、更にセフラジンはもとよりセファロスポリン系化合物については化学物質の最も基本的な同定資料である融点や分析値すら示されていない。
(3) 従って、原明細書のセフラジンに関する前記記載は、実験的裏付のない机上の推定にすぎないものといわざるを得ず、セフラジンの生成を確認できる資料の開示を全く欠く本件特許発明は願書の提出当時はまだ発明として成立していなかった。
(二) 本件特許は、前記のとおり六回の手続補正を経ているが、昭和四六年六月一六日付補正書により本件特許の願書に添付された明細書の実施例2及び3に記載の融点及び分析値が補正された。
従って、本件特許発明は右補正によってはじめて完成したものであるところ、未完成の発明を完成させる補正は要旨変更となるものであるから(特許庁編、産業別審査基準「明細書の要旨変更」第6頁)、本件において昭和四六年六月一六日付でなされた補正は明細書の要旨を変更するものである。
(三) ところで、特許法四〇条は「願書に添付した明細書又は図面について出願公告をすべき旨の決定の謄本の送達前にした補正がこれらの要旨を変更するものと特許権の設定の登録があった後に認められたときは、その特許出願は、その補正について手続補正書を提出した時にしたものとみなす。」と規定しているから、本件特許の出願日は、右昭和四六年六月一六日付補正書の到達した日である昭和四六年六月一七日であるとみなされるものである。
3 昭和四六年一二月二八日付手続補正による出願日の繰下がり
(一) 本件特許は、次のとおりの理由により、化学的類似方法である。すなわち、
(1) 本件特許明細書の特許請求の範囲において、符号「A」として式
を選択すれば、本件特許発明は次の如く各構成要件に分解して示すことができる。
(原料1)式
で表わされる化合物またはその反応性誘導体と、
(原料2)式
で表わされる化合物またはその反応性誘導体(ただし反応に関与しない基は保護されていてもよい)を、
(手段1)反応させ、
(手段2)要すれば反応成績体に存在する保護基を離脱せしめて、
(目的物)式
で表わされるα―アミノ―シクロヘキサジエニルアルキレン―セファロスポリン類の製法。
そして、右の原料1について、右(1)式中Xに水素(H)を選択した場合の化合物(すなわち7―ADCA)は米国特許第三一二四五七六号(一九六四年三月一〇日発行、昭和三九年六月一二日特許庁資料館入館)に、また右(1)式中Xが低級アルカノイルオキシ基で表わされる化合物(以下「7―ACA」と称する)はジャーナル・オブ・メデシナル・ケミストリー(Journal of Medicinal Chemistry)第九巻、第五号、七四六―七五〇頁、一九六六年九月(昭和四一年九月二六日国立国会図書館入館)に、それぞれ記載されていて、本件特許の優先日〔一九六八年七月二日(昭和四三年七月二日)〕前すでに公知であった。
また、他方の原料2(すなわち、D―2―アミノ―2―〔1・4―シクロヘキサジエニル〕酢酸)も、ディザテイション・アブストラクト(Dissertation Abstracts)第二六巻、第一二号、パートⅠ、七〇三四頁(昭和四一年九月一三日国立国会図書館入館)(オーダーNo.六六―一九一三のマイクロフィルム第三一~三二頁、昭和四一年一二月一三日国立国会図書館入館)に記載されていて、本件特許の優先日前すでに公知であった。
更にまた、本件特許の処理手段は、右の二つの原料を反応せしめるものであるが、具体的には、原料2として2―アミノ―2―(1・4―シクロヘキサジエニル)酢酸のアセト酢酸メチルエナミンを使用し、これに7―ACA(実施例2)又は7―ADCA(実施例3)を反応せしめている。しかし、前記ジャーナル・オブ・メデシナル・ケミストリーには、フェニルグリシンのアセト酢酸メチルエナミンに7―ACAを反応せしめてセファログリシンを得る方法が記載されており、この処理手段自体は本件特許と全く同一である。
そして、右両製造方法の原料物質を対比すると、両者に共通の原料として7―ADCA〔すなわち3―デアセトキシ―7―アミノ―セファロスポラン酸〕が用いられ、他方の原料としては本件特許方法ではD―(1・4―シクロヘキサジエニル)グリシン〔すなわち、D―2―アミノ―2―(1・4―シクロヘキサジエニル)酢酸〕が、右公知方法ではD―フェニルグリシン〔すなわちD―2―アミノ―2―フェニル酢酸〕が、用いられている。そこで右のD―2―(1・4―シクロヘキサジエニル)グリシンとD―フェニルグリシンとを比較すると、化学構造上きわめて類似しているものである。
次に、本件特許方法で得られる目的物たるセフラジンは右式(Ⅲ)で表わされる化合物であるが、これは前記ジャーナル・オブ・メデシナル・ケミストリーに記載されているセファログリシン及びアプライド・ミクロバイオロジー(Applied Microbiology)第一五巻、第四号、一九六七年七月(昭和四二年九月七日国立国会図書館入館)に記載のセファレキシンと構造において類似するものである。すなわち、右式(Ⅲ)の化合物とセファログリシン及びセファレキシンとは、2―アミノ酢酸部分に置換する置換基が、前者が1・4―シクロヘキサジエニル基であるのに対し後者がフェニル基である違いがあるに過ぎない。
これをセファレキシンについていえば、次の化学構造式(Ⅰ)
(Ⅰ)
で表わされる7―(2―アミノアセトアミド)―3―デアセトキシセファロスポラン酸類において、本件セフラジンは付号Rが1・4―シクロヘキサジエニル基である場合でその化学構造式は次の(Ⅱ)によって示され、本件特許の優先日前に公知の化合物たるセファレキシンは付号Rがフェニル基である場合でその化学構造式は次の(Ⅲ)によって示される。
(Ⅱ)
(Ⅲ)
従って、セフラジンとセファレキシンとは、同一部位に置換する置換基のベンゼン核の二重結合が一個少ない点だけが相違するにすぎず、化学構造上きわめて類似している。それゆえにかつては、尿中からセフラジンとセファレキシンを分離定量することは化学構造上、きわめて類似しているため困難とされていたほどであり、一般に両者は構造上ほとんど同一と評価されているのである。
(2) してみれば、本件特許は優先日前に公知の化合物を原料として、公知の処理手段によって、公知の化合物に類似する化合物を製造する化学的類似方法の発明であるということができる。
(二) ところで、特許出願にかかる化学方法の発明が、公知化合物に構造的に類似する化合物を既知の方法で製造することを内容とするものである場合(化学的類似方法)は、方法それ自体には、本来、特許性がないのであるが、目的化合物が公知の類似化合物からは予期されないような優れた性質をもつことが明らかにされた場合にはその目的化合物の著しく優れた効果をもって方法の効果として特許性を肯定されるのであって、かかる化学的類似方法が特許されるためには、その目的化合物が新規化合物で、しかも公知の類似構造をもつ化合物が有する性質と著しく異った有用な性質を有する化合物を製造する方法の発明でなければならない〔特許庁編、産業別審査基準「有機化合物」、産〔3〕―4―12~13頁第(2)項〕。
このことは、学説、裁判例、特許庁のプラクティスとにおいて一般に承認されているところである。したがって化学的類似方法の場合には、単に原料、手段、目的物質が示されているだけではいまだ特許性を欠く発明とされざるをえず、目的物質たる新規化合物の有用性が明確に記載されていなければならない。
従って、本件特許の場合、少なくとも代表的化合物について、菌に対する最少発育阻止濃度(MIC)を数値をもって具体的に示さなければ目的物質の効果の記載として不十分であり、特許として成立しないものである。
(三) そこで、これを本件特許についてみると、
(1) 本件特許の原明細書には、その目的化合物の効果として、「本発明による化合物はスタフィロコッカス アウレウス(Staphylococcus aures)、サルモネラ スコットミュレリ(Salmonella schottmuel-leri)、プソイドモナス エルギノサ(Pseu-domonas aeruginosa)、プロテウス ブルガリス(Proteus vulgaris)、エシエリキアコリ(Escherichia Coli)およびストレプトコッカス ピヨゲネス(Streptococcus pyogenes)のようなグラム陽性およびグララ陰性細菌類の両方に対して広い範囲の抗菌活性を有する。それらはたとえば洗滌用あるいは消毒用組成物において病気予防のために用いられるかまたは上に述べたような細菌類による感染に対抗するために使用され一般にはペニシリンGやその他のペニシリンおよびセファロスポリンと同じ方法で利用され得る。」と記載されている(原明細書、第九頁、第四~一八行)が、目的化合物の抗菌活性をMICをもって示してはいない。
しかも、ジャーナル・オブ・メデシナル・ケミストリー第一四巻二号第一一八頁、第二表に記載の如く、原明細書に例示した右微生物に対する抗菌活性は公知のセファログリシン及びセファレキシンと比較し、同等ないしは劣るものであるから、右原明細書の記載によりセフラジンが右公知化合物に比して著しく有用な性質を有する化合物であることが明らかにされているとはいえない。
(2) 更にまた、本件特許明細書には、実施例1の目的化合物であるペニシリン系化合物のD―α―アミノ―(1・4―シクロヘキサジエニル)メチル―ペニシリンについては、第二補正書によって、その抗菌活性を具体的MICをもって明らかにしたが、セファロスポリン系化合物については、具体的MICは依然として示されていない。
ところが、ペニシリン系化合物とセファロスポリン系化合物とは、ペニシリン骨格6位及びセファロスポリン骨格7位のアミノ基に置換する置換基が同じであっても、その抗菌活性は同様でなく、現在卓越した抗菌活性を有するものとされている多くのペニシリン系化合物について、これに対応するセファロスポリン系化合物の抗菌活性を比較してみると後者のそれが劣るものが多いのである。
このように、一般にペニシリン系化合物とセファロスポリン系化合物の効果は同列に論ぜられないものであるから、本件特許明細書のペニシリン系化合物についての前記具体的試験結果からセフラジンの効果を予測することは不可能である(事実、特許明細書において、ペニシリン系化合物が卓越した抗菌活性を有するとするシュードモナス属〔プソイドモナス属〕の菌に対しセフラジンは殆んど効力を有さない。)。
(3) 従って、本件特許は、その出願時においては特許性を有しないものである。
(四) そこで、原告は、昭和四六年一二月二八日付手続補正書によって、セフラジンは、公知のセファロスポリン類(セファログリシン、セファレキシン)に対して抵抗する腸内球菌に対し抗菌作用を有することを主張する補正を行った。
しかし、原明細書には、腸内球菌に対する優れた抗菌作用については示唆さえされていなかったので、この補正は、原明細書の記載内容から自明な内容を追加したものとはいえず要旨変更を構成するものである。
すなわち、まず本件特許の原明細書に記載されているストレプト・コッカスピヨゲネスに対する抗菌作用により第六補正書によって追加された腸内球菌に対する抗菌作用が示唆されていたかであるが、右を判断するうえにおいては、その分類学上の差異が重要なのではなく、実際に重要なことは、両菌が本件のようなペニシリン系やセファロスポリン系化合物に対して同じような挙動を示すか否かということである。
ところが、当該系列の化合物の両菌に対する抗菌活性を検討してみると、ペニシリン系及びセファロスポリン系化合物の多くはストレプトコッカス・ピヨゲネスには相当の抗菌活性を有するが、腸内球菌の一種であるストレプトコッカス・フェアカリスに対しては殆ど抗菌活性を示さない。従って、ペニシリン系及びセファロスポリン系化合物において、ストレプトコッカス・ピヨゲネスと腸内球菌とは到底同列のものといえるものではなく、むしろセフラジンが腸内球菌に対して抗菌作用を示すということは、前記原明細書の効果についての一般的記載からすると極めて意外なことである。
そして、本件特許の原明細書に記載されているストレプトコッカス・ピヨゲネス以外の菌についても、それらの菌に対するセフラジンの抗菌作用からはセフラジンの腸内球菌に対する特異的な抗菌作用を窺うことはできない。
(五) さらに、本件特許発明の目的物質はセフラジンを含むセファロスポリン類とペニシリン類に二分し得るところ、右後者に属するα―アミノ―(1・4―シクロヘキサジエニル)メチルペニシリンに関し、昭和四六年六月一六日付補正書は、公知の化合物であるアンピシリンとの効力の比較を行なったデータを追加するものとしてシュードモナス菌に対し少なくとも二倍の活性をもつことを明らかにしたが、右補正は、昭和四六年二月一五日付拒絶理由通知書によって「α―アミノカルボン酸でアミド化することは上記刊行物のほかにアンピシリンなどが公知である。そしてこの出願発明の目的化合物が公知のα―アミノカルボン酸のアミド化合物に比べてすぐれているとは認められない。」との指摘を受けてされたものである。
従って、右補正は原明細書に一般的な薬理作用の記載があるのみで何ら具体的な裏づけのある記載がないのに、後に薬理作用についての試験結果を加える補正をするものであるから要旨変更を構成するものである。
以上のとおりであるから、特許法四〇条により、本件特許の出願日は右昭和四六年一二月二八日付手続補正書の到達した昭和四六年一月五日とみなされるものである。
4(一) 本件特許の出願日は、右2、3のとおり昭和四六年六月一七日又は昭和四七年一月五日とみなされるところ、セフラジンは、昭和四六年三月三〇日、日本国内において公然知られたものとなった。従って、セフラジンは本件特許の出願日において公知であったものというべきところ、本件特許発明は、その出願前に日本国内に頒布された刊行物たるジャーナル・オブ・メデシナル。ケミストリー第一四巻二号に記載された発明と同一であり、特許法二九条一項三号に該当するから、同法一二三条一項一号の規定により本件特許は無効とされるべきものである。従って、本件訴訟においては本件特許権を一応有効に存在するものとして取扱わなければならないとしても、その技術的範囲は本件特許明細書に記載された実施例と一致するものに限定して解釈するのが相当である。
(二) そこで、本件特許発明の特許公報の記載と被告方法とを比較すると次のとおりである。
本件特許に記載されているセフラジンの具体的製造法は、実施例3のとおりであり、同実施例には「356mg(1・66ミリモル)の3―デアセトキシ―7―アミノ―セファロスポラン酸を実施例1(C)における6―APAの代りに使用し、他は実施例1の方法に従って、」と記載されているから、特許方法は別紙一の反応式によって示される。また、被告方法は、別紙目録一添付図の反応式によって示される。
特許方法と被告方法を対比して示せば次のとおりである。
特許方法
被告方法
原料1
3―デアセトキシ―7―アミノ―セファロスポラン酸(7―ADCA)のトリメチルアミン塩
3―デアセトキシ―7―アミノ―セファロスポラン酸(7―ADCA)のモノおよびジシリル体
原料2
D―2―アミノ―2―(1・4―シクロヘキサジエニル)酢酸・エチルホルメートのアセト酢酸メチルエナミン
D―2―アミノ―2―(1・4―シクロヘキサジエニル)酢酸・クロライドの塩酸塩
手段1
アセトン―水混合溶媒中で脱炭酸エチル反応を行う
塩化メチレン溶媒中で脱塩化水素反応を行う
反応成績体
セフラジン・トリメチルアミン塩のフセト酢酸メチルエナミン
セフラジン・トリメチルシリルエステルの塩酸塩
手段2
塩酸々性として、トリメチルアミンとアセト酢酸メチルエナミンを脱離させる
メタノール・水混合液を加えてトリメチルシリル基を脱離させ、次いでトリエチルアミンを加えて塩酸塩を脱離させる
目的物
セフラジン
セフラジン
かくのごとく、特許方法と被告方法とは、原料化合物(原料1および2)、手段(手段1および2)ならびに反応成績体のいずれにおいても相違するから、両者は全く別異の方法である。
(三) 従って、被告方法は本件特許の技術的範囲に属しない。
5 本件特許方法と被告方法の対比
(一) 被告方法は、次のとおりの理由により本件特許の技術的範囲に属さない。
(二) 本件特許の特許請求の範囲において、符号「A」として
を選択し、更に符号「X」として「水素」を選択すれば、本件特許発明の原料化合物の一つは、次の構造式(a)、
で表わされる化合物又はその反応性誘導体である。
そして、特許請求の範囲には、符号「R」を「水素、低級アルキル基又は塩形成イオン」と定義しているから、当該原料化合物には次の六個の化合物が含まれる。
の反応性誘導体
の反応性誘導体
の反応性誘導体
(三) これに対し、被告方法の原料化合物の一つは次の構造式〔Ⅰ〕又は〔Ⅱ〕で表わされる化合物である。
そこで、被告方法の原料化合物〔Ⅰ〕及び〔Ⅱ〕を特許発明の原料化合物(a―1)~(a―6)と比較対比すると、前者の〔Ⅰ〕及び〔Ⅱ〕の化合物が、少なくとも後者の(a―1)、(a―2)、(a―3)、(a―5)及び(a―6)の化合物とは相違し、これらの範疇に包含されないことは極めて明瞭である。
してみると、両者の相違は、まさに被告方法の〔Ⅰ〕及び〔Ⅱ〕の化合物が特許発明の(a―4)の化合物、すなわち、7―ADCAの反応性誘導体の範疇に包含されるか否かに存する。
(四) ところで、ある化合物の反応性誘導体とは、当該化合物の反応基を修飾してこれを活性化することにより反応性を高めた誘導体である。
このことは、本件特許明細書の記載上明らかである。すなわち、本件特許方法の反応は、これをセフラジンについていえば、二つの反応基つまり究極的には前記構造式(a)(以下、「本件アミン」ともいう。)の化合物のアミノ基(NH2)と次の化学式をもって表わされる化合物(すなわちD―2―アミノ―2―〔1・4―シクロヘキサジエニル〕酢酸―以下「本件カルボン酸」ともいう。)
のカルボキシル基(COOH)とを反応させ酸アミド(CONH)を形成させるものであるが、本件特許明細書は、別紙一覧表に示すとおり、第一に、本件カルボン酸において、その反応性誘導体とクレームしたうえで、ただし反応に関与しない基は保護されていてもよい、と記載している。この意味は、本件カルボン酸の反応性誘導体としたのみでは、その反応基たるCOOHを修飾するものしかクレームに含まれないことになるので、反応に関与しない基たるNH2が修飾される場合は、本件カルボン酸の反応性誘導体に含まれないことを当然の前提としつつ、この但書によってそのような反応に関与しない基が保護されている場合もクレームに含むものであることを明記したものなのである。このように本件カルボン酸の反応性誘導体については、反応基たるCOOHを修飾したもののみを意味すると概念していることは明らかであるが、本件アミンの反応性誘導体につき、これと異る概念を肯定すべき理由は全くないのである。
さらにこのことは、本件特許明細書の発明の詳細な説明の項に、式AHに関し、「A部分は……6―APAまたは7―ACAのアミノ部分と共に形成されるアルドイミンやシッフ塩基の如き6―APAや7―ACAの誘導体」(本件公報第三欄第五行~九行)とし、本件特許において式AHで表わされる化合物の反応性誘導体として、反応基たるアミノ基を修飾して反応活性を高めるもののみを示していることにも表現されている。また、本件カルボン酸の反応性誘導体に関する記載についてみても、いずれも反応基たるカルボキシル基を修飾して活性化したもののみである(本件公報第三欄第二二行および第四欄第三~六行)。
なお本件アミンのカルボキシル基を修飾したものも本件カルボン酸もしくはその反応性誘導体と反応するから、このものも本件アミンの反応性誘導体であるとすれば、Rとして低級アルキル、塩形成イオンを選択した場合の本件アミンも反応性を有するが故に本件「反応性誘導体」ということになる。しかし、本件特許では、7―ADCA(前記a―1の化合物)の4位カルボキシル基(-COOH)を修飾した誘導体を、(a―1)の化合物の「反応性誘導体」と認識しておらず、専らその反応基たる7位アミノ基(-NH2)を修飾してその反応性を向上させた誘導体を「反応性誘導体」と指称しているものであり、また4位カルボキシル基の誘導体は(a―2)及び(a―3)の化合物に限定されているものである。
すなわち、本件特許において、本件セフラジンは実施例3によって製造しているが、同実施例には「356mg(1・66ミリモル)の3―デアセトキシ―7―アミノ―セファロスポラン酸を実施例1(c)における6―APAの代りに使用し、他は実施例1の方法に従って、」と記載されているから、この方法は具体的には、まず「356mg(1・66モル)の7―ADCAを2・5mlの水中でよく攪拌し、この間pHを8・0に保って0・23mlのトリメチルアミンを徐々に加え、この溶液を零下一〇℃に保つ。」操作を行い、次いでこれにD―2―アミノ―2―(1・4―シクロヘキサジエニル)酢酸の混合酸無水物を反応させる方法である。そして右操作を行うと7―ADCAはトリエチルアミンと反応して、次式(b)、
で表わされる7―ADCAのトリエチルアンモニウム塩を形成するものであり、これは前記(a)式中の符号「R」の「塩形成イオン」に当るから(特許明細書第2欄、第二〇~二一行参照)、本件特許においてD―2―アミノ―2―(1・4―シクロヘキサジエニル)酢酸の混合酸無水物との反応に供される原化合物は(a―3)の化合物である。このように(a―3)の化合物は(a―1)の化合物から誘導され、かつ反応性を有する化合物である。
ところが本件特許請求の範囲においては、(a―3)の化合物および(a―2)の化合物を(a―1)の化合物の反応性誘導体すなわち(a―4)の化合物と異なるものとして区別して定義している。したがって本件特許では、(a―2)および(a―3)のような7―ADCA(a―1)の四位カルボキシル基(-COOH)を修飾した誘導体を(a―1)の化合物の「反応性誘導体」と認識していないと解さざるをえない。
そうすると、前記(a)式中のカルボキシル基(COOR)の部位に修飾した場合には、本件特許で限定されたRとして低級アルキル、塩形成イオンを選択した場合に限られるものである。したがって、翻えって本件特許の特許請求の範囲の解釈としては、当然にCOORの部位における修飾による「反応性誘導体」のごときものはそもそも考慮されておらず、アミノ基の部位の修飾による誘導体のみが本件アミンの反応性誘導体と概念されているものとしか考えられない。
(五) そこで、本件アミンの反応性誘導体と被告方法の中間体たる二つの7―ADCAシリル体(モノシリル体およびジシリル体)とを対比するとつぎのとおりである。
(本件アミンの反応性誘導体)
(Rは水素、低級アルキルまたは塩形成イオンを示す)
(7―ADCAモノシリル体)
(7―ADCAジシリル体)
本件アミンの反応性誘導体は、右化学式のごとく反応基たるアミノ基(NH2)を修飾しこれを活性化するYを有するものであるところ、右の7―ADCAモノシリル体はアミノ基が何ら修飾されていないものである。また、7―ADCAジシリル体はアミノ基が修飾されているが、本件アミンの反応性誘導体は、そのカルボキシル基の部位(COOR)において、Rは水素、低級アルキルまたは塩形成イオンに限定されているので、これに含まれないトリメチルシリル(Si(CH3)3)の場合はこれに該当しない。
したがって、被告方法の中間体たる二つの7―ADCAシリル体は、いずれも本件特許請求の範囲にいう式AHで表わされる化合物(本件アミン)の反応性誘導体ではないのである。
(六) 本件特許の特許請求の範囲における「反応成績体」(以下「本件反応成績体」という。)は、前記本件アミンもしくはその反応性誘導体と本件カルボン酸もしくはその反応性誘導体(ただし反応に関与しない基は保護されていてもよい)との反応の結果得られた生成物である。したがってそれは、つぎのような化学式で示される化合物である。
(本件反応成績体)
(Rは水素、低級アルキルまたは塩形成イオンを示す。Zは本件カルボン酸もしくはその反応性誘導体に由来するアミノ基の保護基)
被告方法の反応による生成物たるセフラジン・トリメチルシリルエステル塩酸塩(以下「被告反応成績体」という。)は左記化学式で表わされる。
(被告反応成績体)
そこで右両化合物を対比すると、被告反応成績体のアミノ基を修飾したHClは本件カルボン酸の反応性誘導体のアミノ基をHClで保護したものであるD―2―アミノ―2―(1・4―シクロヘキサジエニル)酢酸クロライド塩酸塩に由来する保護基であるから、本件反応成績体のZに該当する。しかしながら、被告反応成績体のカルボキシル基を修飾したSi(CH3)3は、本件反応成績体のRと異る。したがって、被告反応成績体は、本件反応成績体に属しない。
(七) 本件特許請求の範囲における「反応成績体に存在する保護基を離脱せしめ」る操作とは、右の本件反応成績体のアミノ基の部位に存する保護基たるZを除去するものである。それは、本件特許のクレームにおいて、本件カルボン酸もしくはその反応性誘導体についてのみ反応に関与しない基は保護されていてもよいとされ、保護基の存在を許容されているのであって、本件アミンについては保護基の存在を許容していないことからも明らかである。
したがって、被告反応成績体のアミンつまり7―ADCAシリル体に由来するカルボキシル基の部位に存するSi(CH3)3(トリメチルシリル基)は、本件特許のクレームにいう「保護基」に該当せず、自らこれを除去する工程がクレームにいう「保護基を離脱せしめる」要件にあたらないものであることは明白である。
四 被告の主張に対する原告の認否、反論
1 被告の主張1(本件特許の不存在)について
(一) 同1(一)は認める。
(二) 同2(二)のうち、特許査定等の行政処分が違法なものであって、本件特許が存在しないものであることは争う。その余は認める。
被告主張の第六補正書による補正は、「本件発明の目的化合物は、7―〔D―2―アミノ―2―(1・4シクロヘキサジエニル)アセトアミド〕―3―デアセトキシセファロスポラン酸を含めて腸内球菌(enterococci)に対して抗菌作用を示す」という事実を明細書に挿入することを求めた補正であるところ、本件特許の原明細書には「本発明による化合物はスタフィロコッカス・アウレウス、サルモネラ・スコットミュレリ、プソイドモナス・エルギノサ、プロテウス・ブルガリス、エシエリキア・コリおよびストレプトコッカス・ピヨゲネスのようなグラム陽性およびグラム陰性細菌類の両方に対して広い範囲の抗菌活性を有する」と記載してあり、本件特許発明の目的化合物は、グラム陰性菌並びにグラム陽性菌の双方に対して、広い範囲で抗菌活性作用を示すことを既に開示している。そして、前記補正書に記載されている腸内球菌(enterococci)は、溶血連鎖球菌の一種で、溶血連鎖球菌はグラム陽性菌に属するから、前記補正書の記載は、本件特許の原明細書において本件特許発明の目的化合物が抗菌活性作用を示すとしたグラム陽性菌の例示を単に一例追加したに過ぎない。しかも、原明細書に例示されているストレプトコッカス・ピヨゲネスも腸内球菌と同じく溶血連鎖球菌に属するから、かかる例示の追加は本件特許発明の目的物質の有する作用効果を実質的に変更するものではない。
従って、このような内容を有する補正が本件特許の公告公報たる特公昭四七―一九七九七号公報(本件公報)から欠落しているからといって、その瑕疵が重大な瑕疵であるとはいい得ないことは明らかである。
また、出願公告は、それによって特許法五二条に定める権利を発生せしめる重要な手続ではあるが、一方、特許法五一条四項は出願公告の日から二月間第三者が該出願公告に係る特許出願の出願書類一切を自由に縦覧し得ることとしており、特許権成立後もそれらの閲覧は自由である(特許法一八六条)から、特許出願公告に誤載が存したとしても、その誤載がひいては当該特許出願に関する出願公告であること自体を疑わせるようなものでない限り直ちに出願公告が当然無効となるものでないと解すべきである。
2 被告の主張2(昭和四六年六月一六日付手続補正による出願日の繰下がり)について
(一) 同2(一)柱書は争う。
本件特許の原明細書の例5にはセフラジン、すなわち、7―〔D―2―アミノ―2―(1・4―シクロヘキサジエニル)アセトアミド〕―3―デアセトキシセファロスポラン酸の製法の実施の態様が記載されている。その記載は、それに先立つ実施例1のC)の記載を援用しているけれども、それは、3―デアセトキシ―7―アミノ―セファロスポラン酸とD―2―アミノ―2―(1・4―シクロヘキサジエニル)酢酸の反応性誘導体とを反応せしめてセフラジンを製造する実施例であり、本件特許発明の技術分野に属する平均的技術者であれば、この記載に従ってセフラジンを製造することに何の困難も存在しない。
すなわち、本件特許発明の要旨は、原告の請求原因4(一)記載のA、原料、B手段、C目的物質がすべてであるところ、本件特許の原明細書の前記例5には、
A' (1) 3―デアセトキシ―7―アミノセファロスポラン酸と、
(2) D―2―アミノ―2―(1・4―シクロヘキサジエニル)酢酸の混合酸無水物(ただし、アミノ基が保護されている)とを用い、
B' 両者を反応させ保護基を離脱せしめて、
C' セフラジンを得る
という実施の態様が具体的に記載されているから、本件特許の原明細書にセフラジンの製法に関する技術的事項のすべてが記載し開示されていたことは明らかである。
従って、本件特許発明が出願当時完成されていたことは明らかである。
(二) 同2(一)(1)(2)のうち、本件特許発明が新規化合物を製造する方法の発明であること、被告主張の文献に被告主張のとおりの記載の存すること及び原明細書に被告主張の記載が存し、セフラジン及びセファロスポリン系化合物について融点、分析値の記載がないことは認めるが、その余は争う。
特許庁編、産業別審査基準は、省令ではなく、また国家機関の定める規則でもないから、法源として法的拘束力を有するものではない。それ故、右審査基準を根拠として本件特許発明が出願時に未完成であったか否かを判断すべきものではないが、その点は暫く措いても、昭和四六年六月一六日付手続補正は発明の要旨を変更するものではない。
すなわち、本件特許の原明細書にはその例5にセフラジンを製造する実施の態様を記載しているのであって、そうである以上右原明細書に記載の発明は右審査基準にいう「目的化合物の生成を確認できる資料が全く示されていない発明」に該当しないことは明らかである。
また、本件特許発明は、その特許請求の範囲に記載のとおり、式
又は、式
で表わされる化合物またはそれらの反応性誘導体と式
で表わされる化合物又はその反応性誘導体とを反応せしめる方法を対象としている。化合物(Ⅰ)と化合物(Ⅲ)との反応によって得られる目的物質は、特許請求の範囲における「α―アミノ―シクロヘキサジエニルアルキレン―ペニシリン類」であり、化合物(Ⅱ)と化合物(Ⅲ)との反応によって得られる目的物質は、「α―アミノ―シクロヘキサジエニルアルキレン―セファロスポリン類」である。そして、原明細書における「例5」は、右化合物(Ⅱ)に属する3――デアセトキシ―7――アミノ―セファロスポラン酸(7―ADCA)と化合物(Ⅲ)に属するD―2―アミノ―2―(1・4―シクロヘキサジエニル)酢酸の反応性誘導体を反応させる実施の態様であり、原明細書の「例1」は、右化合物(Ⅰ)に属する6―アミノペニシラン酸に化合物(Ⅲ)に属する右「例5」と同一の化合物を反応させる実施の態様であって、両実施例は、原料物質として化合物(Ⅱ)を用いるか化合物(Ⅰ)を用いるかの点で異なっているのみである。
ところで、本件特許におけると同様に、化合物(Ⅰ)又は化合物(Ⅱ)にアシル化反応を施すに当って、化合物(Ⅰ)が或るアシル化剤によってアシル化されて、所望の目的物質が得られる場合には、化合物(Ⅱ)も同様にそのアシル化剤によってアシル化され得ることは、本件特許出願当時既に知られていた。すなわち、化合物(Ⅰ)に属し、前記の如く「例1」に原料物質として用いられている6―アミノペニシラン酸と、「例5」において原料物質として用いられている化合物(Ⅱ)に属する3―デアセトキシ―7―アミノ―セファロスポラン酸(7―ADCA)或いは同じく化合物(Ⅱ)に属する7―アミノセファロスポラン酸は、左記の如き各種のアシル化剤
によって、同様にアシル化反応をうけて、夫々対応するペニシリン類又はセファロスポリン類を目的物質として生成する。かかる経験的事実からみて、一般に、化合物(Ⅰ)に属する化合物が或るアシル化剤によってアシル化されうるとすれば、同時にまた、化合物(Ⅱ)に属する化合物も同一のアシル化剤によってアシル化され得るであろうという予測が本件特許出願当時、技術常識として知られていたのである。
勿論、本件特許発明の方法における如く、化合物(Ⅰ)又は化合物(Ⅱ)を化合物(Ⅲ)という特定のアシル化剤によってアシル化し、所望のペニシリン類又はセファロスポリン類を生成せしめるという試みは、本件特許の発明者達が初めて行なったのであるが、本件特許の出願当初の明細書の「例1」に記載されているとおり、化合物(Ⅰ)に属する化合物たる6―アミノペニシラン酸に化合物(Ⅲ)に属するD―2―アミノ―2―(1・4―シクロヘキサジエニル)酢酸の反応性誘導体を作用させて6―アミノペニシラン酸をアシル化して所望のペニシリン類が得られるという知見が、初めてとはいえ、一旦、明細書に具体的に開示された場合には、その知見に基いて、「例1」における原料物質を、化合物(Ⅱ)に属する3―デアセトキシ―7―アミノファロスポラン酸に代えた場合にも、対応するセファロスポリン類たるセフラジンが得られるであろうとすることは、前記技術常識から当然である。
本件特許の原明細書の「例1」には、得られた目的化合物の物性、分析値等が詳細に記載されている。従って、右「例1」の記載が、「例1」における目的物質の生成を確認できる資料として完全であることは言を俟たない。そして、「例5」の記載が、セフラジンの製法に関して発明未完成であると言うべきか否かは、かような「例1」の記載と、前記技術常識とに基づいて判断されなければならないのであって、物性等の記載が、専ら目的化合物の生成を確認する手段であるとするならば、右の如き前提の下における「例5」の記載は、たとえ後日補正挿入された目的物質の融点、分析値を欠くとしても、目的物質の生成を確認し得る記載として充分であり、決して発明未完成とは言い得ない。
なお、出願当初の明細書に、既に目的化合物の製法につき実施例の記載はあるが、その目的化合物の融点等の記載されていない場合、前記審査基準に従って発明未完成とするが如き特許庁の実務慣行は存在しない。
化学物質を製造する方法の発明の要旨は原料、それに施す手段、目的化合物によって特定することができ、それ等が「技術的事項」として特許請求の範囲に記載される。そして、かかる技術的事項の中のある要件が、出願当初の明細書に記載された事項の範囲を超える結果を生ずる補正が要旨変更なのであるから、これらの技術的事項のすべてが実施例として既に出願当初の明細書に記載されている場合、単にその目的化合物の融点を追加補充するだけで要旨変更を生ずると言い得ないことは明らかである。
(三) 同2(二)のうち手続補正の内容は認めるが、その余は争う。
(四) 同2(三)は争う。
3 被告の主張3(昭和四六年一二月二八日付手続補正による出願日の繰下がり)について
(一) 被告の主張3(一)柱書は争う。
(二) 同3(一)(1)、(2)のうち、本件特許発明の構成要件及び7―ADCAとD―2―アミノ―2―(1・4―シクロヘキサジエニル)酢酸が本件特許の優先日前すでに公知の化合物であったことは認めるが、その余は争う。
本件特許発明の原料は公知であるが、その処理手段は新規なものであり、目的物質も既知の化合物に類似するものではない。
(三) 同3(二)は争う。
(四) 同3(三)(1)、(2)のうち、本件特許の原明細書の記載は認めるが、その余は争う。
セファログリシンは、左記構造式
で示される化合物であって、化学名を7―(D―2―アミノ―2―フェニル―アセトアミド)セファロスポラン酸といい、セファレキシンは左記構造式
で示され、化学名を7―(D―2―アミノ―2―フェニル―アセトアミド)―3―デアセトキシセファロスポラン酸という化合物であるところ、右セファログリシン及びセファレキシンの両構造式と、本件特許発明の目的化合物、例えばセフラジンの構造式とを比較すると、前二者はそれ等の構造式の左端にフェニル基を有しているのに対して、後者はその構造式の左端に1・4―シクロヘキサジエニル基を有している点で著しく異なっている。
本件特許発明は、ペニシリン系抗生物質を製造する方法並びにセファロスポリン系抗生物質を製造する方法の両者をその特許請求の範囲に含んでいるが、本件特許の出願当時には、本件特許発明の目的化合物の如く、その構造中に1・4―シクロヘキサジエニル基を有する化合物は、ペニシリン系抗生物質の分野においても、セファロスポリン系抗生物質の分野においても全く知られておらず、これを合成してその抗菌活性を検討するという試みは全くなされていなかった。その理由は、従来の知見に従えば、シクロヘキサジエニル基を有する化合物は、前記セファログリシンやセファレキシンの如く、フェニル基をその構造中に有する化合物とは生体内における代謝、吸収、排泄並びに組織浸透の態様が異なり、細菌に対する挙動が著しく異るとされていたからである。従って、本件特許出願前に存在したペニシリン系抗生物質、セファロスポリン系抗生物質には、構造中にフェニル基を有するものはあったが、本件特許発明の目的化合物の如く、シクロヘキサジエニル基を有する化合物は全く見られなかったのである。
本件特許発明は、本件特許出願当時におけるかような技術水準の下において、シクロヘキサジエニル基を有するペニシリン誘導体並びにセファロスポリン誘導体を合成し、それ等が広範囲の細菌に対して優れた抗菌作用を有することを明らかにしたのであって、本件特許発明の特許性は正にこの点に存在する。
なるほど、被告主張の如くセフラジンの抗菌活性は、セファログリシンやセファレキシンと比べると、或る細菌に対しては優れているが、同等のものもあり、また、やや劣るものもある。
しかし、本件特許発明の技術的進歩性ないし特許性は、右のとおり、従来、優れた抗菌活性を有するとは到底考えられていなかったシクロヘキサジエニル基を有するペニシリン系誘導体及びセファロスポリン系誘導体の分野において、他の抗生物質に優るとも劣らない広範囲の抗菌活性を有する化合物群を見出し、これを合成した点にあるのであって、決してセファログリシンやセファレキシンに比較して、その抗菌活性が優るか否かが、本件特許発明の技術的進歩性を左右するものではないのである。
本件特許発明は、かような理由に基いて特許性が認められたのであって、決して、腸内球菌に対して抗菌作用を有するという昭和四六年一二月八日付手続補正書に記載の薬効の例示の追加があって、初めて特許性が認められたのではない。
従って、被告の引用する審査基準について言えば、本件特許発明の目的化合物に対してセファログリシンやセファレキシンは、「類似構造をもつ既知化合物」ではなく、また、右手続補正書による薬効の例示の追加は、決して「目的化合物の有用な性質についての自明でない補正」でもない。
(四) 同3(四)のうち、補正の内容は認める。その余は争う。
(五) 同3(五)のうち、補正の内容は認める。その余は争う。
被告主張のα―アミノ―(1・4―シクロヘキサジエニル(メチルペニシリンのシュードモナス菌に関する抗菌活性の実験データの追加を内容とする補正は、右化合物の製法が、本件特許の原明細書に実施例1として具体的に記載されており、右化合物を含めて、本件特許発明の目的物が、「プソイドモナス・エルギノザ」菌に対して抗菌活性を有することが、原明細書に記載されているところ、かかる「プソイドモナス・エルギノザ」菌に対する抗菌活性の実験データを追加したものである。従って、かかる補正は決して出願当初の明細書の要旨を変更するものではない。
4 同4(一)ないし(三)のうち、(二)の本件特許方法と被告方法の対比は認めるが、その余は争う。
5 同5(本件特許方法と被告方法との対比)はすべて争う。
第三証拠関係《省略》
理由
一 原告がアメリカ合衆国デラウエア州の州法に従って設立された法人であって、医薬品等の製造販売を業としていること、及び被告が医薬品等の製造販売を業とする株式会社であって、名古屋市内に営業本部を置いていることは当事者間に争いがない。
二 本件特許の存否について
1 《証拠省略》によれば、原告が昭和四四年七月二日に「α―アミノーシクロヘキサジエニルアルキレン―ペニシリンおよびセファロスポリン類の製法」を発明の名称とする特許出願を特許庁長官に対してなし(特願昭四四―五二四一五号、一九六八年七月二日のアメリカ合衆国特許出願に基づく優先権主張)、同特許出願は審査官による出願公告の決定及び特許査定を経て昭和四七年六月六日特許庁長官により出願公告され(特公昭四七―一九七九七号)、同年一二月八日、登録番号第六六八五九三号をもって登録されたこと及び右特許出願の願書に添付された明細書に記載された特許請求の範囲は次のとおりであること、すなわち、
「式AHで表わされる化合物またはその反応性誘導体と式
で表わされる化合物またはその反応性誘導体(ただし反応に関与しない基は保護されていてもよい。)を反応させ、要すれば反応成績体に存在する保護基を離脱せしめて、式
で表わされる化合物を得ることを特徴とするα―アミノ―シクロヘキサジエニルアルキレンーペニシリン類およびセファロスポリン類の製法。
〔ただし上記式中、Aは式
または式
(Rは、水素、低級アルキルまたは塩形成イオンを示す。Xは水素、低級アルカノイルオキシまたは窒素塩基の残基または根を示す。なおXおよびRの両者はラクトン環における炭素と酸素の結合手を示す場合もある。)
を表わし、nは0~4の整数を表わす。〕」の各事実を認めることができる。
右各事実によれば、右特許出願にかかる発明について原告は右登録により特許権(本件特許権)を取得したものというべきである。
2 ところで被告は、本件特許の公告公報たる特公昭四七―一九七九七号公報には昭和四六年一二月二八日付手続補正書によりなされた補正事項が掲載されていないから、それ以後、本件特許についてされた特許査定等の行政処分は違法であり、本件特許は不存在である旨主張する(被告の主張1参照)。
なるほど、特許法五一条三項は、特許庁長官が出願公告をなす場合願書に添付した明細書に記載した事項を特許公報に掲載すべきことを定めているところ、《証拠省略》によれば、原告が本件特許について昭和四六年一二月二八日付手続補正書によって発明の詳細な説明の項について別紙二のとおりの内容の補正をしたこと、その後本件特許については手続補正されることなく出願公告の決定がされたこと(この事実は当事者間に争いがない。)、しかるに本件特許の公告公報には右手続補正書により補正された事項が掲載されていないことの各事実が認められるから、本件特許について特許庁長官がした出願公告に瑕疵が存することは明らかである。
しかしながら、一般に、行政処分に瑕疵が存する場合であっても、当該瑕疵が重大かつ明白なものでない限り当該行政処分が無効となるものではないと解されるから、右の瑕疵が重大かつ明白なものでない限り、前記出願公告若しくは出願公告以後になされる特許査定等の行政処分が無効となるものではないというべきであるところ、右程度の瑕疵をもってこれを重大かつ明白な瑕疵ということはできない。すなわち、
前記公報に掲載されなかった補正内容が本件特許発明の目的物質の有する作用効果に関する記述であることは、《証拠省略》を対比することにより明らかである。そして、右作用効果に関する記述が従前の願書に添付された明細書に記載された本件特許発明の目的物質の有する作用効果を実質的に変更し、ひいては明細書の要旨を変更したものと認められるものでないことは後に説示するとおりである。
一方、特許法五一条四項は、特許庁長官は出願公告の日から二月間該出願公告に係る特許出願の出願書類一切を公衆の縦覧に供しなければならない旨定めているから、特段の事情の存しない限り本件特許に係る前記昭和四六年一二月二八日付手続補正書を含む出願書類一切も前記出願公告の日から二か月間公衆の縦覧に供されたものと推認される。
従って、本件特許発明の目的物質の作用効果に関する記述は、前記公報に掲載されなくとも公衆の知り得る状態にあったといい得るのであり、また、特許法一八六条によれば、何人も特許については出願書類一切の閲覧が許されているのであるから、この点からも右記述は、公衆が自由に知り得る状態にあったといい得る。
そうすると、前記出願公告に昭和四六年一二月二八日付手続補正書による補正の内容が掲載されなかったとの瑕疵をもって前記出願公告若しくは出願公告以後になされる特許査定等の行政処分が無効となる程度の重大な瑕疵ということができないことは明らかである。
従って、本件特許が不存在である旨の被告の主張は失当である。
三 本件特許の出願日について
1 被告は、「(1)本件特許発明はその出願時においてはその目的物質の物理的、化学的性質の開示がなく発明未完成であったところ、昭和四六年六月一六日付手続補正書により右の開示がされたから、右補正により発明が完成した(被告の主張2参照)。(2)本件特許発明は化学的類似方法であって、その出願時においてはその目的物質の有用性の開示がなく特許性を付与され得ないものであったところ、昭和四六年一二月二八日付手続補正書によって有用性の開示がされたから、右補正により本件特許発明は特許性を付与されるに至った(被告の主張3参照)。」旨各主張し、右各補正がいずれも明細書の要旨を変更するものであることを前提として本件特許の出願日は右各手続補正書が特許庁に到達した日に繰下がる旨主張する。
そこで、被告の右(1)、(2)の主張について順次判断する。
2 昭和四六年六月一六日付手続補正書による補正について
(一) 《証拠省略》によれば、本件特許の原明細書には、その例5において7―〔D―2―アミノ―2―(1・4―シクロヘキサジエニル)アセトアミド〕―3―デアセトキシセファロスポラン酸について356mg(1・66モル)の3―デアセトキシ―7―アミノ―セファロスポラン酸をC部の6―APAの代りに使用することによって、或はまた例1の方法に従って上述の化合物が得られた。」と記載されており(原明細書に右記載がされていることは当事者間に争いがない。)、その例1C)には、358mgの6―アミノペニシラン酸(1・66ミリモル)を原料物質の一つとし、D―α―アミノ―(1・4―シクロヘキサジエニル)メチル―ペニシリンを目的物質とする製造方法が具体的に記載されていることが認められる。そして、6―APAが6―アミノペニシラン酸の略称であることは右乙第一号証の二(原明細書)の記載から明らかであるから、右原明細書の記載に従って、例1C)の6―アミノペニシラン酸の代りに3―デアセトキシ―7―アミノ―セファロスポラン酸(7―ADCA)を使用し、他の処理操作は例1C)と全く同様にしてセフラジン(例5には上述の化合物が得られたと記載されていることは前記のとおりであり、右にいう「上述の化合物」が7―〔D―2―アミノ―2―(1・4―シクロヘキサジエニルアセトアミド〕―3―デアセトキシセファロスポラン酸、すなわちセフラジンを指称するものであることは前記例5の記載自体から明らかである。)を製造することは、当業者であれば容易になし得るものであるということができる。そして、右のとおりセフラジンについてその製造方法が具体的に記載されている以上、右製造方法を技術的裏付のない机上の推定ということは到底できないし、仮に被告主張の如く特許庁の審査基準において「目的化合物の生成を確認できる資料が全く示されていない発明」は発明としての成立を否定されるべきものとして取り扱われているとしても、右具体的製造方法に従って当該目的物質を製造することによって目的化合物の生成を確認することができるのであるから、前記原明細書の例5及び例1C)の記載は目的化合物の生成を確認できる資料を開示したものということができる。
そして、《証拠省略》によれば、原明細書は昭和四六年一二月二三日付手続補正書により全文訂正されたが、原明細書の例5の記載は実施例2として維持され、右実施例2の記載が援用する実施例1C)は原明細書の例1C)の記載がそのまま維持されて本件特許の登録に至っていることが認められるのであるから、本件特許発明がその出願時において発明未完成のものであったということはできない。
(二) 次に、昭和四六年六月一六日付手続補正書により本件特許の願書に添付された実施例2及び3に記載の融点及び分析値が補正されたことは当事者間に争いがなく、実施例2の記載が原明細書の例5に記載されていたセフラジンの製造方法が維持されたものであることは右認定のとおりである。
ところで、特許法四〇条は、「願書に添附した明細書又は図面について出願公告をすべき旨の決定の謄本の送達前にした補正がこれらの要旨を変更するものと特許権の設定の登録があった後に認められたときは、その特許出願は、その補正について手続補正書を提出した時にしたものとみなす。」と規定しているところ、右にいう補正による要旨変更に未完成発明を完成させる補正が含まれるものであることはいうまでもないが、既に完成された発明については、特許発明の本質たる技術思想を変更して、その特許発明の同一性を喪失せしめる補正(すなわち、新たな特許出願と同視し得る程度に変更する補正)を指称するものと解されるのであって、これを特許請求の範囲が補正されない場合(本件特許の特許請求の範囲が補正されなかったことは《証拠省略》により明らかである。)についていえば、明細書の発明の詳細な説明又は図面の補正が補正前の明細書に記載された事項からみて当業者にとって自明でない事項を含む場合であって、かつ、当該補正により特許請求の範囲に記載された技術的事項、すなわち、特許請求の範囲により表わされた技術思想が実質的に変更される場合であるということができる。
そこで、これを前記昭和四六年六月一六日付手続補正書でされた補正事項についてみるに、セフラジンの融点及び分析値が当業者にとって自明でない事項であるとしても、右セフラジンの融点及び分析値はセフラジンが本来有している物理的性質に過ぎない。そして、本件特許発明は前記のとおり「α―アミノ―シクロヘキサジエニルアルキレン―ペニシリンおよびセファロスポリン類の製法」をその名称とする発明であるところ、その目的物質の一つであるセフラジンの物理的性質が明らかにされたことにより、セフラジンの利用方法に不可避的に影響が生じ、ひいて本件特許の特許請求の範囲の表わす技術的事項が何らかの変更を受けたものとみるべき根拠は何ら存しない。
(三) そうだとすれば、本件特許発明は出願時において発明未完成でなく、また、昭和四六年六月一六日付手続補正書による補正は完成発明の要旨を変更するものではないから、本件特許の出願日が、特許法四〇条により昭和四六年六月一六日付手続補正書が特許庁に到達した日に繰下がる旨の被告の主張は理由がない。
3 昭和四六年一二月二八日付手続補正書による補正について
(一) 《証拠省略》によれば、一般に、新規の化合物を製造する方法の発明のうち、当該新規化合物が既知の化合物と化学構造の主要部が同一又は密接な関係を有する有機化合物(類似化合物)であり、その製造方法が既知の化学的処理方法と同一又は類似である(類似方法)ものを化学的類似方法と呼んでいること、右方法により生成された新規化合物に従来の類似化合物が有する性質よりすぐれた性質若しくは予期されない異質の性質を有する場合にのみ右方法の発明につき進歩性ないし特許性が認められること、特許庁の審査基準においても既知反応に基づく処理手段を使用する方法の発明であっても公知の類似構造を持つ化合物が有する性質と著しく異なった有用な性質を有する新規化合物を製造する方法の発明は進歩性を有するものとして取り扱われていることの各事実を認めることができる(右認定に反する証拠はない。)。
(二) そこで、本件特許発明が化学的類似方法であるか否かについて検討するに、被告は、本件特許の特許請求の範囲において符号「A」として式
を選択し、更にXに水素(H)を選択した場合、若しくは、Xに低級アルカノイルオキシ基を選択した場合の原料(出発物質)は、いずれも既知化合物であり、処理手段も公知であるとし、目的化合物たるセフラジンは公知化合物であるセファログリシン及びセファレキシンと類似している旨主張する。
セフラジンが左記構造式を有するものであること、セファログリシン及びセファレキシンが本件特許出願日(優先権主張日)以前に既知であったことは当事者間に争いがなく、
セファログリシンが左記構造式を有するものであること、
及びセファレキシンが左記構造式を有するものであることは、《証拠省略》によりこれを認め得る。
しかるに、右各構造式を比較すると、セフラジンの構造式の左端すなわち、2―アミノ酢酸部分に置換する置換基が、(1・4―シクロヘキサジエニル基)であるのに対し、セファログリシン及びセファレキシンの各構造式の左端が(フェニル基)である点において異なっていることは明らかである。
そして、右の如き各構造式の違いにもかかわらず、右各化合物が類似化合物であることを認めるに足りる証拠は本件においては何ら存しない。
すなわち、前記説示したところによれば、類似化合物か否かの判断は、当該特許出願当時の技術水準の下において、その化学構造及びその性質の観点からみて当該新規化合物と既知化合物とが類似するものと評価し得るか否かによるべきものであると解される。
従って、前記各化合物(セファログリシン、セファレキシン及びセフラジン)が類似化合物か否かを判断するについても、本件特許出願時の技術水準の下においてフェニル基を有する化合物のフェニル基を、1・4―シクロヘキサジエニル基に置換した場合であっても同様の化学的性質を有するものと考えられていたか否かが重要であるといわなければならない。
被告は、セフラジンとセファレキシンとは、同一部位に置換する置換基のベンゼン核の二重結合が一個少ない点だけが相違するにすぎない旨主張し、《証拠省略》には、いずれもセフラジンとセファレキシンは構造的に類似する旨の記載が存する。
しかしながら、類似化合物か否かの判断は右の如きベンゼン核における二重結合の個数がその化合物の化学的性質にいかなる影響を与えるかに存するのであるから、右の如き類似性のみをもってセフラジンとセファレキシンを類似化合物と認めることはできないのであって、かえって、シクロヘキサジエニル基を含む化合物は、いわゆる脂環式化合物に属し、脂肪族化合物に類似しているのに対し、フェニル基を含む化合物は、いわゆる芳香族化合物に属し、両者は化学構造、性質の異なる全く別個の化合物として分類されていることは公知の事実であり、また、《証拠省略》には、セフレキシン及びセファログリシンの属する芳香族化合物と1・4―シクロヘキサジエニル類似体との化学的性質は非常に異なっているものと考えられてきた旨の記載も存するところであり、本件全証拠によっても、前記の意味における新規化合物たるセフラジンと既知化合物たるセファログリシン及びセファレキシンとの類似性を認めることはできない。
(三) そうだとすると、セファログリシン、セファレキシンとセフラジンとが類似化合物であるとは認められないから、本件特許方法が化学的類似方法であるとはいえず、したがって、本件特許方法が化学的類似方法であることを前提として昭和四六年一二月二八日付手続補正書による補正が要旨変更に当たるとする被告の主張は理由がないというべきである。
4 ところで、被告は、本件特許が昭和四六年六月一六日付手続補正書及び同年一二月二八日付手続補正書による各補正がいずれも特許法四〇条に定める要旨変更に当たることを各前提として本件特許の出願日は右各手続補正書が特許庁に到達した日に繰下がる旨主張し、更に、右出願日の繰下がることを前提として、本件特許に無効原因が存すること、それゆえ技術的範囲を限定解釈すべきことを主張するのであるが(被告の主張4(一)、(二)参照)、昭和四六年六月一六日付手続補正書及び同年一二月二八日付手続補正書による各補正が要旨変更に当たるものと認めるに足りる証拠がないことは前記のとおりである。
従って、本件特許の技術的範囲を限定解釈すべきである旨の被告の主張は、その前提を欠き、失当である。
四 被告が別紙目録一に記載されている方法(被告方法)によって製造されたセフラジンをイタリー国ミラノ市所在の訴外ドブファーエス・ピー・エーから、訴外サカイ薬品株式会社を介して輸入し、これを製剤の上、該製剤品を「タイセフラン」なる商品名で販売していることは、当事者間に争いがない。
そこで、以下被告方法が本件特許方法の技術的範囲に属するか否かについて判断する。
五1 本件特許における特許請求の範囲が次のとおりであることは、前記のとおりである。すなわち、
「式AHで表わされる化合物またはその反応性誘導体と式
で表わされる化合物またはその反応性誘導体(ただし反応に関与しない基は保護されていてもよい。)を反応させ、要すれば反応成績体に存在する保護基を離脱せしめて、
式
で表わされる化合物を得ることを特徴とするα―アミノーシクロヘキサジエニルアルキレン―ペニシリン類およびセファロスポリン類の製法。
〔ただし、上記式中、Aは式
または式
(Rは水素、低級アルキルまたは塩形成イオンを示す。Xは水素、低級アルカノイルオキシまたは窒素塩基の残基または根を示す。なお、XおよびRの両者はラクトン環における炭素と酸素の結合手を示す場合もある。)を表わし、nは0~4の整数を表わす。〕
2 そして、右特許請求の範囲においてAとして式
を選択し、R及びXに共に水素(H)を選び、更に、nを0とし中からを選んだ場合、右は
(一) 式
で示される化合物またはその反応性誘導体と
(二) 式
で表わされる化合物、またはその反応性誘導体(ただし反応に関与しない基は保護されてもよい。)の両者を、原料化合物とし、
(三) 右両者を反応させ、要すれば反応成績体に存在する保護基を離脱せしめて、
(四) 式
で表わされる化合物を得る方法。
以上のように表現することができる。
そして、右の式(四)で表わされる化合物がセフラジンであるから、本件特許方法をセフラジンの製法について構成要件に分説すれば、右(一)ないし(四)に分説することが適当であることとなる(本件特許の特許請求の範囲に記載の方法をセフラジンを得る場合には右(一)ないし(四)のとおり表現し得ること、右(四)の化合物がセフラジンであることは、当事者間に争いがない。)。
そこで、以下前記2(一)ないし(四)と、被告方法とを対比する。
3 まず、被告方法は、7―アミノデアセトキシセファロスポラン酸(すなわち7―ADCA)とN・N'―ビストリメチルシリルウレアとをメチレンクロライド中で反応させて3―デアセトキシ―7―トリメチルシリル―アミノ―セファロスポラン酸トリメチルシリルエステル(別紙目録一の添付図面の化合物〔Ⅰ〕、以下「化合物〔Ⅰ〕」という。)と3―デアセトキシ―7―アミノセファロスポラン酸トリメチルシリルエステル(同添付図面の化合物〔Ⅱ〕、以下「化合物〔Ⅱ〕」という。)との混合物を生成せしめるところ、右7―アミノ―3―デアセトキシセファロスポラン酸が前記2(一)における式
で示される化合物と同一であることは明らかであるから、化合物〔Ⅰ〕及び〔Ⅱ〕は右化合物(すなわち7―ADCA)から誘導された誘導体であるということができ(化合物〔Ⅰ〕及び〔Ⅱ〕が7―ADCAの誘導体であることは当事者間に争いがない。)、化合物〔Ⅰ〕及び〔Ⅱ〕がいずれも被告方法における所望の反応を生起し得る能力を有していることは明らかであるから、化合物〔Ⅰ〕及び〔Ⅱ〕は7―ADCAの反応性誘導体であるということができる。
被告は、この点について、本件特許請求の範囲においては、当該化合物の反応基を修飾してその反応性を向上させた誘導体を反応性誘導体と指称しているのであって、反応基たるアミノ基が修飾されていない化合物〔Ⅱ〕はこれに含まれず、アミノ基が修飾されている化合物〔Ⅰ〕は、そのカルボキシル基の部位(COOR)においてRがトリメチルシリルであって、本件特許請求の範囲においてRは水素、低級アルキルまたは塩形成イオンに限定されているから、いずれも7―ADCAの反応性誘導体ではない旨主張する(被告の主張5(四)、(五)参照)。
しかしながら、《証拠省略》によれば、一般に、反応性とは物質が化学反応を起こす性質のあることをいうものと認められ、《証拠省略》によれば、一般に、誘導体とは、ある化合物に小部分の構造上の変化があってできる化合物をもとの化合物の誘導体ということが認められる(右認定に反する証拠はない)ところ、本件特許請求の範囲における反応性誘導体を右と異なり、被告主張のように限定的に解すべき根拠は存しない。すなわち、
(一) 《証拠省略》によれば、本件特許明細書中において式AHで表わされる化合物の誘導体として例示されている化合物は6―APAまたは7―ACAのアミノ部分と共に形成されるアルドイミンやシッフ塩基のみである(本件特許公報第三欄七、八行目)が、右アルドイミンやシッフ塩基が6―APAまたは7―ACAのアミノ基を修飾したものであるとしても、右公報の記載から直ちに、式AHで表わされる化合物の反応性誘導体を前記一般に解されている意味内容と異なって解しなければならないものでないことは明らかである。
(二) また、式AHで表わされる化合物のA部分に式
を選択し、Rとして水素(H)を選択した場合の化合物(すなわち7―ADCA)からみて、Rとして低級アルキル又は塩形成イオンを選択した各化合物は、Rの部分が置換したにすぎないから、7―ADCAの誘導体ということもできるところ、右各化合物を7―ADCAの反応性誘導体と解した場合、特許請求の範囲においてRを限定する意味がないから、前記式におけるカルボキシル基の部位(COOR)を修飾する誘導体はこれを本件特許請求の範囲にいう反応性誘導体と解すべきでないとみる余地も存するが、本件特許請求の範囲の記載におけるRの意味は反応性誘導体のもととなる化合物についてこれを限定しているにすぎないものとみることもできるのであり、しかも、《証拠省略》によれば分子にシリル基を導入することによってその反応性は増大することが認められるところ、被告方法の化合物〔Ⅱ〕は7―ADCAのシリル誘導体であるから7―ADCAよりもその反応性は増大しているものというべきであって、このように7―ADCAのカルボキシル基を修飾することによってその反応性が増大する場合が存するのにもかかわらず、反応性誘導体の意味内容を限定し、化合物〔Ⅱ〕を除外しなければならない理由を本件特許明細書の記載等において発見することはできない。
そうだとすると、前記Rによる限定を根拠として、反応性誘導体を一般の意味内容と異なった意味内容に解釈することはできないものというべきである。
また、本件特許請求の範囲における式AHで表わされる化合物の反応性誘導体はAの部分が変化することが当然の前提とされていることは明らかであって、7―ADCAから誘導される誘導体において前記式
におけるRが水素、低級アルキル、または塩形成イオン以外のものに変化したとしてもこれを本件特許請求の範囲にいう反応性誘導体というに何ら妨げない(右式のカルボキシル基を修飾したものであってもこれを式AHで表わされる化合物の反応性誘導体とみるべきことは前記のとおりである。)と解すべきである。
従って、被告の前記主張はいずれも失当である。
そうすると、被告方法は、前記2(一)を充足するものである。
そして、被告方法は化合物〔Ⅰ〕及び〔Ⅱ〕を反応生成物とする反応混合物に2―アミノ―2―(1・4―シクロヘキサジエニル)酢酸クロライド・塩酸塩を加えて反応させるところ、右化合物がD―2―アミノ―2―(1・4―シクロヘキサジエニル)酢酸すなわち、式
で表わされる化合物)の反応性誘導体であることは当事者間に争いがないから、被告方法は前記2(二)を充足するものである。
4 次に被告方法は、化合物〔Ⅰ〕及び〔Ⅱ〕の混合物に右D―2―アミノ―2―(1・4―シクロヘキサジエニル)酢酸クロライド・塩酸塩を加えて反応させ、7―〔D―2―アミノ―2―(1・4―シクロヘキサジエニル)アセトアミド〕―3―デアセトキシセファロスポラン酸トリメチルシリルエステル・塩酸塩を得、これからトリメチルシリル基及び付加塩酸を除去してセフラジンを生成せしめるものであるところ、右のセフラジンは前記2(四)の化合物であることは当事者間に争いがないから、右被告方法は前記2(三)にいう7―ADCAの反応性誘導体と式
で表わされる化合物の反応性誘導の両者を反応させる操作に該当するものというべきである。
この点について被告は、被告方法は、(一)本件特許請求の範囲にいう反応成績体は、本件特許請求の範囲において符号「A」として式
を選択し、符号「X」として水素を選択した場合、式
(Rは水素、低級アルキルまたは塩形成イオンを示す。Zは式
で表わされる化合物またはその反応性誘導体に由来するアミノ基の保護基)で表わされる化合物を指称するところ、7―〔D―2―アミノ―2―(1・4―シクロヘキサジエニル)アセトアミド〕―3―デアセトキシセファロスポラン酸トリメチルシリルエステル・塩酸塩は、式
で表わされる化合物であって、カルボキシル基を修飾したSi(CH3)3は、右反応成績体のRと異なる旨、また、(二)本件特許請求の範囲において、要すれば反応成績体に存在する保護基を離脱せしめる操作とは、反応成績体のアミノ基の部位に存する保護基を除去する操作のみを指称するものであるところ、7―〔D―2―アミノ―2―(1・4―シクロヘキサジエニル)アセトアミド〕―3―デアセトキシセファロスポラン酸トリメチルシリルエステル・塩酸塩におけるトリメチルシリル基はアミノ基の部位に存するものではないから、右トリメチルシリル基を除去する操作は、反応成績体に存在する保護基を離脱せしめる操作に該当しない旨、各主張する。
しかしながら、右(一)の点については、本件特許請求の範囲においては、反応成績体について特に式をもって示してはいないところ、式AHで表わされる化合物またはその反応性誘導体(化合物〔Ⅰ〕及び〔Ⅱ〕がこれに含まれるものであることは前記のとおりである。)と式
で表わされる化合物またはその反応性誘導体(D―2―アミノ―2―(1・4―シクロヘキサジエニル)酢酸クロライド・塩酸塩がこれに含まれるものであることは前記のとおりである。)を反応させた結果得られる化合物(反応生成物)のうち、最終目的物質を得るため、存在する保護基を離脱せしめる必要の存する化合物を反応成績体として指称しているものであることは、その文理上明らかである。そして、式AHで表わされる化合物の誘導体においてAとして選択した式
におけるRが水素、低級アルキル、または塩形成イオン以外のものに変化したとしてもこれを本件特許請求の範囲にいう反応性誘導体というに妨げないことは前記のとおりであるから、本件特許請求の範囲にいう反応成績体においても、右被告主張の式におけるRが水素、低級アルキル、または塩形成イオン以外のものに変化した場合も右反応成績体に含まれるものと解すべきことは当然である。
従って、本件特許請求の範囲における反応成績体が、被告主張の前記式におけるRが水素、低級アルキル、または塩形成イオンのものに限られるものであることを前提とする被告の右(一)の主張はその前提を欠き失当である。
また、被告の右(二)の主張についてみるに、なるほど、《証拠省略》によれば、本件特許の願書に添付された明細書の詳細な説明では、保護基に関する記述はすべてアミノ基の保護についてのものであること、保護基の離脱に関する記述もすべてアミノ基の保護基についてのものであることが認められ、右記載及び本件特許請求の範囲には「式
で表わされる化合物またはその反応性誘導体」についてのみ保護基について言及していることを併せ考えると、本件特許請求の範囲にいう保護基は反応成績体のアミノ基の部位に存するもののみを指称するものと解される。従って、被告方法の7―〔D―2―アミノ―2―(1・4―シクロヘキサジエニル)アセトアミド〕―3―デアセトキシセファロスポラン酸トリメチルシリルエステル・塩酸塩から、カルボキシル基を修飾するトリメチルシリル基を除去する工程は、本件特許請求の範囲にいう保護基を離脱せしめる工程に該当するものではないと解すべきことは被告主張のとおりである。
しかしながら、右のトリメチルシリル基を除去する工程は、次のとおり、7―ADCAの反応性誘導体と式
で表わされる化合物の反応性誘導体の両者を反応させる工程に含まれると解すべきであるから、被告方法に右トリメチルシリル基を除去する工程が存することを理由として被告方法が前記2(三)を充足しないものということはできない。すなわち、《証拠省略》によれば、被告方法における7―〔D―2―アミノ―2―(1・4―シクロヘキサジエニル)アセトアミド〕―3―デアセトキシセファロスポラン酸トリメチルシリルエステル・塩酸塩からトリメチルシリル基を除去する操作は、右化合物に水、メタノール等を加えて加水分解の方法によりトリメチルシリル基を除去するものであることが認められるから、右は7―〔D―2―アミノ―2―(1・4―シクロヘキサジエニル)アセトアミド〕―3―デアセトキシセファロスポラン酸トリメチルシリル・エステル・塩酸塩に他の原料化合物を反応させて目的化合物を得るという操作でなく、右化合物中の不必要な部分を除去する操作であることは明らかであるというべきところ、《証拠省略》によれば、6―アミノペニシラン酸(6―APA)のイミン誘導体をアシル化剤と反応させた場合、その中間生成物を加水分解しないとペニシリンを得ることができないことが認められ、右からすれば本件特許方法における原料物質として6―APAのイミン誘導体(式AHで表わされる化合物の反応性誘導体であることは明らかである。)と、アシル化剤であることが弁論の全趣旨により明らかな式
で表わされる化合物またはその反応性誘導体とを反応させた場合、その反応生成物を加水分解しなければ最終目的物である式
で表わされる化合物を得ることができないものと推認し得る。
従って右6―APAのイミン誘導体とアシル化剤とを反応させその中間生成物を加水分解して最終目的物を得る場合における加水分解は、本件特許請求の範囲にいう保護基を離脱せしめる工程に該当するものではないことになるが、反面、本件特許方法に右6―APAのイミン誘導体を原料物質の一つとする方法が含まれることは《証拠省略》に徴して疑いがないから、結局、本件特許請求の範囲にいう「反応させ」とは右のような化合物中の不必要な部分を除去する操作(すなわち加水分解)を含むものとして解されることとなる。そして、右解釈は、前記のとおり最終目的物を得るためには存在する保護基を離脱せしめる必要の存する化合物を反応成績体と指称している本件特許請求の範囲の記載と何ら矛盾するものでもない。
従って、被告方法は、前記2(三)にいう(二種の原料化合物を)反応させ、その反応成績体に存する保護基である付加塩酸(右が保護基であることは当事者間に争いがない。)を離脱せしめるもので、前記2(三)を充足するものであり、被告方法の最終目的物が前記2(四)の化合物であることは前記のとおりである。
5 そうすると、被告方法は、本件特許方法の構成要件をすべて充足するから本件特許方法の技術的範囲に属するものというべきであり、原告は、特許法一〇〇条一、二項に基づき、被告に対し、本件特許方法を侵害する別紙目録一記載の被告方法により製造された物である別紙目録二記載の物件(セフラジン)の輸入、その製剤及び製剤品の販売の差止並びに被告所有に係る右物件及び製剤品の廃棄を求め得るというべきである。
六 よって、原告の請求は理由があるからこれを認容することとし、仮執行宣言は相当でないからこれを付さないこととし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 加藤義則 裁判官 高橋利文 綿引穣)
<以下省略>